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LIFE IS FLY FISHING

第四話 虫の知らせ

阪東幸成=写真と文

ふらい人にとって虫の知らせは重要だ。

虫が流れてくるところにライズが起こるし、虫の種類と羽化の段階を推測してフライを選択するフライフィッシングは、じつに科学的な釣りなのである。

先日、山でソロ・キャンプをして釣りをした。

初日は山奥ではなく、人家がポツリポツリと見えている田んぼの裏を流れる里川を釣った。

事前情報があったわけではない。予定していた北面の川が予想外の雪代で釣りにならなかったので、やむなく街道を挟んだ山の南面を流れる近くの川に逃げたのだ。

それが当たった。

カゲロウがたくさん飛んでいて、川面にはスピナーを捕食する静かなライズの輪があった。釣れたのはほとんどが尺前後のイワナだった。


尺上イワナが里川でたてつづけに釣れてくるという状況は、現代日本にあっては奇跡と言っても差し支えないだろう。奇跡というのはそうそう頻繁に起こるものではないから、おそらくわたしにとっては令和最後の大釣りだったと思う。

その奇跡的な一日が、翌日の不思議な出来事と関連性があるのかどうか、わたしにはよくわからない。

先行者の気配もなく、川は虫っ気に満ちていたのに、翌日、釣果は思わしくなかった。

ポツリポツリと小型の魚が釣れてきて、撤退のタイミングを逃した。山奥の川なので昼過ぎからの他川への転戦は不可能で深い谷をよじ登って林道に出て、一旦車に戻ってから、さらに上流を目指した。

支流との分岐点に橋があり、そこに車を置いて、ほんの十数メートルほど林道を上流に歩いたとき、前方に不思議な物体が横たわっているのが見えた。

正確に言うと、横たわっているというよりは、老人が膝を抱えて蹲っているように見えた。しかし老人はなにか得体の知れない茶色いビニールのようなもので包まれていた。

「死体が包まれているようだった」と表現するのが、じっさいの印象に近い。

ビニールに包まれた死体が林道の真ん中に放置されているという状況はあまりに非現実的だが、その塊が生き物で、もし万が一動き出したら、と思うと恐ろしくなり、わたしはあまり余計なことを考えずに踵を返し、車に戻った。


橋の脇に止めていた車に異変があった。右の後輪の空気が異常に減っているのがはっきりとわかった。

わたしの車にはスペアタイヤがないのだ。

納車の時に初めて知って愕然としたのだが、燃費向上のための呆れた戦略らしかった。山道を走る前提の4WDの車がスペアタイヤを積まず、しかもランフラット・タイヤでもない。いつかこんな悪夢に見舞われるだろうという怖れはあったが、ついに現実になった。

わたしは、ウエーダー早脱ぎオリンピックなら金メダルが取れる素早さで着替えをし、タイヤの空気が抜けきらないうちに電波が通じる舗装道まで到達できることを祈りつつハンドルを握った。

悪いことには舗装道は 本来隣村へ抜けるための道なのだが、たまたま土砂崩れのため行き止まりになっている。だから今時分は山菜採りと釣り人しか通行しない。

わたしは左カーブでは速度を極端に落としてタイヤへの負担を減らしつつ峠を越え、山を下り、ダムを渡り、温泉街を抜けた。街道沿いにシェルの看板を見つけたとき、わたしは雄叫びをあげた。

スタンドの若者は窓を開けると「満タンですか?」と聞く前に「パンクしてますよ」と言った。

修理は3000円弱だったが、ほんとうは1万円払いたいくらいの気持ちだった。

いったんスタンドを出てからコンビニに行ってハーゲンダッツを買ってきてお礼にした。真夏のような日だったのだ。

もしあの死体のような物体がなかったら、わたしは確実に上流で釣りをしていた。

日暮れになって車に戻ったとき、そこには空気の抜けたタイヤで傾いだ車があったはずだ。

あの物体はいったい何だったのだろうか?

あるいは虫が知らせた幻覚だったのか。



《Profile》
阪東幸成(ばんどう・ゆきなり)
アウトドア・ライター。バンブーロッドにのめりこみ、1999年に『アメリカの竹竿職人たち』(フライの雑誌社刊)を著す。2017年にふらい人書房を立ち上げ、以降『ウルトラライト・イエローストーン』『釣り人の理由』など、自身の著作を中心に出版活動を行なっている。最新刊は『ライフ・イズ・フライフィッシング シーズン1』。



ふらい人書房ホームページ
www.flybito.net



2019/5/25

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