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海人スタイル奄美

釣り人と漁協の連携で川は変わる

石徹白川での地元漁協と釣り人の連携は秀逸な成功事例であり長く継続することを願うばかりだ

安田龍司=聞き手 編集部=文と写真

この記事はFlyFisher 2022年9月号 Mid Summerに掲載されたものを再編集したものです

河川管理に疑問を持って

石徹白川のイワナ。多くの人の想いを背負って流れに帰る

 

河川管理に疑問を持って

安田 最初に、今まで斉藤さんが石徹白川で行なってきたキャッチ&リリースなどの活動を始めようと思ったきっかけをお聞かせいただけますか。

斉藤 子どもの時から釣りが大好きで、エサ釣りから始まって、やっぱりある時にフライフィッシングに出会いました。この釣りって、簡単にたくさん釣るという発想はないじゃないですか。そこではじめて、今の渓流の危機感、生態系の危機感みたいなものを考えるようになったんです。漁協という組織が、川の資源管理という名のもとに養魚場で育った魚を放流しているということにもすこく違和感を覚えるようになりました。釣りは本来、魚がいてはじめて成立する遊びFlyFisher 2022年9月号 Mid Summerじゃないですか。その魚というのは生き物で、自分たちで産卵して次の世代に命をつないでいくという仕組みができていなければ、釣りはできないはずなのに、なんか日本の渓流の、管理の仕組みって変だなということを思い始めたんです。そういう僕の気持ちを仲間に伝えたら、協力してくれる人々もいたので、何かできるんじゃないかという気持ちから、「在来渓魚を殖やす会」という会を作ってね。今は解散しているのですけれど。それで、どこでやりたいかと思った時に、もう頭に石徹白というところ以外浮かんでこなかったということです。

 

安田 ということは、それ以前にも石徹白にはよく行かれていたのです

斉藤 自分がフライを始めたのは38歳で、今のような活動をやり始めたのが40歳くらいですが、20歳くらいの頃に渓流釣りをいちばん最初に始めたころから通っている川でした。あのころも、今もですけれど、やっぱり秘境感がありました。

 

安田 そうですね。

斉藤 そういう秘境的な感覚もすこい好きだったし、なんか石徹白川しかもう頭には思い浮かばなかったんですよ。結果それがよかったんです。漁協の規模というかサイズというか……。

 

安田 大きすぎずっていうことですよね。

 

 

いきなり漁協へ直談判

安田 そこから活動を始めて何年くらいになりますか。

斉藤 1998年からですから、22年ですね。

 

安田 では斉藤さんが「やってみよう!」と思ってから具体的にはどうされたのでしょうか?いきなり漁協さんに行ったのですか?

斉藤 具体的には……、漁協へ行ってというか。「頼もう!」という感じで(笑)。

 

安田 いきなり(笑)。

斉藤 自分たちの思いを伝えて、で、何かお手伝いをしたいと申し出て。放流事業だとか、いろいろあるじゃないですか。そういう作業なんかを押しかけのお手伝いみたいなことから始めました。それが縁で、地元の長老組みたいな人たちとまず面識を持ってお付き合いできるようになったんですよね。でも「おかしなヤツらだ」というふうにしか思われていなかったと思いますよ。どちらにしても魚を、釣った魚を逃がしてやるなんていうことはありえない話なんですね、地元の人たちからすれば。ただ、石徹白というところにはそういうおかしなスタイルも、一応受け入れるという精神的土壌が意外とあったみたいですね。ロマンチストだったといいますか。

 

安田 そうすると「キャッチ&リリ—スをやりましょう」という話は、スムーズに進んでいったのですか

斉藤 というかね「別に、いらんヤツは魚、逃がしゃええじゃん」というそういう感じで(笑)。理解できないというふうに排除するのではなく「そういぅヤツがおってもええよな」、「そういうのもあるわな」っていう受け入れてくれる空気が確実にありました。

 

安田 なるほど(笑)。

斉藤 「在来渓魚を殖やす会」という会名に「(キャッチ&リリース)」というのをその時に足しているんですよ。「在来渓魚を殖やす会」という、誰にでもわかりやすい名前にして、でも「やりたいことはこれです。キャッチ&リリ—スですよ」という意味を込めて会名は「在来渓流魚を殖やす会(キャッチ&リリース)」。「キャッチ&リリ—スの会」なんてしたところで絶対理解されないじゃないですか。だから「在来渓魚」という言葉を強調したんです。

 

安田 「養殖魚じゃない」ということですね。

斉藤 そうそう。その川の野生の魚を増やす。で、その「増やす」という言葉に、この字にも、「殖」という漢字を使ったんですね。ただ増やすだけじゃなくて。それにはやっぱりこう、魚を再生産するという意味を込めて。

 

安田 「繁殖」の「殖」。

斉藤 そうはいうものの、地元の方からは「怪しい連中じゃないか?」って思われた面もきっとあったと思いますよ。でも地元の人の説得にはそんなに苦労せずにできましたね。前組合長の石徹白隼人さんがいたというのも大きかったです。当時、隼人さんは副組合長レベルの立場でしたが、その頃の組合長がとても頑固な人だったんです。ただ隼人さんと話ができるようになってから、ちょっといろいろ受け入れてくれるようになって。

 

安田 私が知っているだけでも、隼人さんが行なった新しい取り組みはいろいろありますね。

斉藤 僕らも身銭を切ってちょっと資金を貯めて、こちらから「イベントをやらせてくれ」みたいなスタンスで近づいたのもあったんです。やっぱり大切なのは地元の人の同意というか、いかにうまく受け入れてもらえるかというか、そこにやっぱりいちばん力を注ぎましたね。

 

安田 やはり地元の人々の理解なしで続けることは難しいですね。

斉藤 どれだけ自分が正義感を持って語ったところで絶対に無理です。

 

安田 「自分たちが釣りたいだけでしょう」って言われたらそれで終わってしまいますからね。

 

 

キャッチ&リリースの効果を実感

斉藤 そうですね。すこく単純なことなんだけれど、釣った魚を殺さずに逃がしてやれば、ちゃんと生き残って、次の日も泳いでいるという状況をとにかく見てほしいと。それで「やらせてください」と言って、そこにイベント用に魚を放流してということを最初はやってみたんですね。

 

安田 そのときの放流資金は「殖やす会」の資金ですか?

斉藤 そうですね。資金っていってもたいしたお金じゃなかったんですけれど、一応寄付を募ったりいろいろして、30万円くらい作って、そのお金で魚を購入して放流しました。そのイベントを8 月にやったんですよ。そこから10月まで、禁漁までを「キャッチ&リリースでお願いします」みたいな形で、本当にお願いレベルでやったのですね。そうしたらそのおかげで、その年の自然産卵がすごく増えたんですよ。もう産卵期にペアリングがものすこく増えたので。それで確実に成果が上がったかまではわからないですけれども。とにかくペアリングだけは、今まで皆無だったのが格段に増えました。石徹白川支流の峠川のあの規模だとほとんど空っぽに釣られちゃっていましたから

 

安田 そうですね。

斉藤 峠川のような里川で、春の解禁から秋の禁漁まで、いつ見ても魚が残って泳いでいるなんていうことは、当時はどの渓流でも奇跡だったと思うんですよね。でもキャッチ&リリースをしたことによって、ちゃんとそういう状況が目で確かめられたという事実、それはやっぱり大きかったと思います。当時、リリースしても、1 回さわったら魚は死んじゃうとか、そういうことって、まことしやかに言われていたじゃないですか。

 

安田 言われていましたね。「だから釣った魚は食べてやらないと駄目だ」みたいなことをいう人もいましたね

斉藤 そういうことも言われましたね。もう、「1回釣った、ハリに掛かった魚は絶対死んじゃう」と言われたけれど、「いやいや、死なんな」みたいな感じで(笑)

 

安田 (笑)。扱い方次第で生き残る確率は高くなりますね。

斉藤 それと、アマゴなんかに比べるとイワナはね。少々手荒い扱いをしたって死なないじゃないですか、やっぱり。皮膚も強いし。

 

安田 その最初のイベントというのはいつだったのですか。

斉藤 2000年にやったのがいちばん最初ですかね。実は99年に1 回、土曜日と日曜日に2 日間のイベントをやったんです。その2日間はキャッチ&リリ—スでやりました。そのイベントの終了とともに普通の釣り場に戻るはずだったのですが、日曜日の夕方というか午後になったら、エサ釣りのおじさんたちが橋の上でじっと待っておって、「まだアカンか?まだ釣っちゃアカンか?」「まだいっぱい残っとるな」と話しているんです。それでその時に、漁協の誰かが、「おう、解禁は明日の朝からにするぞ。明日の朝からで今日はアカン。2 日間のイベントやで、釣って持ち帰るのは明日からにしてくれ」みたいな話をされていました。おじさんたちブツブツ言っておったけれど、帰って行ったんですよ。僕らが言ったのではなくて漁協の方が僕らの気持ちも考慮してくれたかもしれないですね。そうしたら、魚がいっぱい泳いでいたのに次の日には、すっからかんになったんです。

 

安田 やはりそうですか。

斉藤 それはそれでひとつの……。

 

安田 逆に証明ですよね。持って帰ったらいなくなるという。

斉藤 ただ今となっては、20年もかかったのではなくて、魚は逃がしてやれば減らないということはもう、早々と地元の人には周知できましたよね。

 

安田 そうすると、地元の人の理解はそこで得られたとして、次にもっと広く釣り人にも知ってもらう必要があると思いますが、どのような工夫をされたのですか。

斉藤 とにかく漁協がキャッチ&リリ—ス区間にするということを賛同して「峠川ならええよ」つて言ってくれたんです。そして漁協が「ここがこういう区間になりました」つて発表してくれました。

 

安田 それはスムーズにいったのですか。

斉藤 スムーズだったのですけれど、そこに至るまでの行政、県のほうがね……、そっち側を説得するほうが大変でした。

 

安田 キャッチ&リリース区間の前例が当時の岐阜県にはなかったということですか。

斉藤 岐阜県としてはね。全国的には渚滑川とか、寒河江川とか事例は2 、3 あったからね。そういうところをちよっと調べてほしいという話をして。結局、形としては回りくどいんだけれど、「禁漁区にして、特別持ち帰らない釣りだけ許可する」みたいな話になってス夕—卜できたんです。でも岐阜県の管理の方は、「正式な規則ではなくてお願い事項みたいな形にしてくれ」と言っていたのです。でも、そのことを文面で「あくまでもこれはお願い事項です」って書いたら守らない人いっぱい出てくるから、こちらとしては「管理上困る、お願い事項にしたほうがトラブルが起きる」って言って。でもそれはこちらの裁量で、お願い事項とは書かず、ただ「ここはキャッチ&リリ—ス区間です」という、今の看板の文言どおりの形でスタ—卜しちゃったんですけれどね。県はああだこうだ言うんだけれど、実際にはその看板を見にも来ないんですよ、結局(笑)。

 

安田 なるほど。ではその後、具体的に何かトラブルが起きたりしましたか

斉藤 トラブルは、僕らは感じたことなかったのですけれど、やっぱり地元ではいろいろあったみたいで、ある時突然、その当時の組合長の隼人さんが、「斉藤君、エサ釣りは禁止にすることにしたで」って言って(笑)

 

安田 (笑)

斉藤 「それ、ちょっと無理じゃないですか?」って言ったんだけれど、「いやもう決めたで」つて言って。聞けばエサ釣りの人で、だいぶ荒っぽい人がいたらしいんですよ。あの当時、キャッチ&リリース区間では、エサ釣りもキャッチ&リリ—スであれば禁止じゃなかったんです。そうしたらなんかトラブっちゃったみたいで、それでアタマにきちゃって「もうエサ釣りなんか禁止する」と言って。まあ、持ち帰る、帰らせない、で言い合いになったみたいで。で、組合長が「大の大人が信念をもってやっとることにな、子どもみたいな言い訳されちゃかなわんで。もうこんなトラブル起こしたくないから『エサ釣り禁止』の文言を入れる」って。もうそれがいちばん大きな転換点だったですね。でもその後はみんなが想像するほどのトラブルはなかったですね

 

 

キャッチ&リリースから自然再生産へ

安田 なるほど。峠川で石徹白の人々の理解を得たうえでキャッチ&リリース区間を設定した後も斉藤さんたちの活動は続いていたわけですが、その先の活動にも何かきっかけがあったのでしょうか。

斉藤 それはやっぱり、キャッチ&リリース区間で自然再生産の効果でしょうね。実際、成魚放流や稚魚放流とかって、たくさん放流してたくさん獲るっていう漁業的な発想なんですよね。そういうことをどれだけ繰り返しても、やっぱり魚って目に見えて増えるということはほとんどないんだなって、僕も実感したし、それは地元の組合の人たちもわかったみたいです。峠川の、あんな狭い区間だけど、魚がちゃんと自然再生産していく。魚を持って帰らないということはこれだけ効果的なんだということを実感したというのがあり、こういうことは漁協の管理体制の中にも、大切な要素となっています。本流の、ダムから最初にあるいちばん大きな堰堤がありまして、そこまでしか魚は上がって来られないわけだから、そこらあたりに産卵できる場所がた<さんあればいちばんよいので、そこに人工的な産卵河川みたいなものをつくれないかという話を僕らから持ちかけました。作業をやってくれたのは組合の人たちです。

 

安田 それも組合としての理解がないとできませんよね。人工河川を作ってそこで魚たちに産卵してもらうことは難しいと思うのですが、峠川でリリースされた魚たちが残り、それが再生産に繋がっていることを実証できたことが大きかったのでしょうね。

斉藤 そうですね。それと、僕らがことあるごとに言っていた在来渓魚、在来の魚を自然再生産で命をつないでいくということの大切さというか、昔は当たり前だったことが実は貴重なんだということが浸透したんじゃないですかね。でも人工河川はメンテナンスをしないとすぐ泥が詰まってしまって産卵できるような状況じゃなくなるんです。だから1 年に1 回、清掃をイベント化して、いろいろボランティアを募って、禁漁になる直前の最後の日曜日にやってきているんです。参加者も毎年増えたり、定期的に来てくれる人もあって、ひとつの楽しみにもなっているんですね

 

安田 人工河川を管理することは簡単ではないと思いますが、それでも魚たちが毎年産卵してくれることは、皆さんの楽しみでもありますね。

斉藤 子どもたちに生態系の仕組みみたいなものを教えられる教材にもなります。

 

安田 そういうことを体験することによって魚を釣った後の扱いもていねいに優しくなるでしょうね。

斉藤 そこにつながるんだと思いますよ。

 

安田 実際にイワナやヤマメの産卵シーンを見ると感動的ですよね。映像で見るのとは違いますから。石徹白の方々の自然に対する感覚って、白山信仰に関係があると思うのです。石徹白に行くと、いつもそれ感じるのですが、流域に白山中居神社があって、あの地域には神社に関わる人たちがたくさんいらっしゃる。だから自然を敬い大切にするのではないでしょうか。

斉藤 あの神社から上流ですよね。そこから今の最上流まで人も住んでいないし。宮司さんっていうか、あそこの神社のいちばんえらい人なんですけれど、「いや、この神社から上流はすべて人知のおよばない世界ですから」って言われる(笑)

 

安田 格好いい(笑)

斉藤 そこでイワナたちも、侵されずに命をつないでいくという、ひとつの物語として素晴らしいですね。

 

安田 もっと魚を獲ること強く主張する人がいて、意見がまとまらない漁協があってもおかしくないと思うのですが、石徹白漁協さんは本当に一枚岩のようにまとまっている印象で、素晴らしいですね。

斉藤 決めるまではいろいろあっても、やると決めたことはやり通すみたいな、そういう気風がありますね。あと、どこの地区に行っても一緒ですけれど、「昔は魚がもっとおったぞ」っていう話は絶対に出ます。そういう危機感、さびしさみたいなのは皆さん持っているところはありますね。だから、僕らが魚を増やしたいという「殖す」意味がね。自然再生産の今の仕組みをちゃんと守っていく、保全するという考え方なんですよね。そこへ持ってきて、岐阜県水産研究所の岸さんたちみたいな研究者が「放流の効果の薄さ」みたいなものをはっきりと言ってくれるようになったじゃないですか。
「未来の川を作る人」(岸大弼さんの活動はこちらから確認できます)そういうことを研究デ—夕として出してくれるようになったことが、僕らが間違った方向には行っていないなと感じています。実際、漁協という組織の管理の方法として、魚をばらまいて好きなだけ持っていってくれというような、そういう管理の仕方が今のそして将来の川の生態系によいわけがないというのはみんな感じてきていると思うので。

 

安田 そうですね。特に石徹白川水系のように、自然再生産が可能な水系では、自然再生産を重視して管理することで、天然魚、野生魚を保全し、よりよい川にできる可能性がありますね

 

石徹白川の人工産卵河川の取り組みは2009年から始まった

石徹白川の人工産卵河川の取り組みは2009年から始まった

 

 

遺伝子レベルで原種を残すために

斉藤 そうですね。それと、石徹白川には支流がけっこうたくさんあって、その支流の奥には独特の遺伝子を持った、ちゃんと石徹白のイワナという昔から命をつないできている、そういう原種がいるわけですから、その魚を守っていくためには、そこに放流でもしたら遺伝子的に壊れちゃうじゃないですか。

 

安田 在来種の遺伝子を保全することは最も大切なことですね。

斉藤 遺伝子レベルでね。イワナには変わりはないけれど。そういうことだって、ある程度そういう仕組みをわかっている人が関わらないと、結構間違ったことが起きちゃうじゃないですか。そういう意味で、遺伝子的なレベルで原種というのもちゃんと残していかないといけない。そういうためにも、むやみな放流は慎むべきだと思いますね。安田さんたちがやっていられる九頭竜川のヤマメもそうですよね。石徹白川には長年アマゴがいたのを、今、ヤマメに放流を切り替えているのも、ただ単純にどこのいわれかわからないヤマメを放流するということではなくて九頭竜川の遺伝子のヤマメを放した

 

安田 そうですね。石徹白川とつながっていますからね

斉藤 前組合長の隼人さんが「つながっているから、そういう遺伝子のヤマメがほしい。どうせ放流するのだったら、少々高くなってもいい。そういう遺伝子的にちゃんとした純粋な由来のあるものを使いたい」ということでしたから

 

安田 そうでしたね。昔は石徹白川にもサクラマスが遡上していて、それがダムなどの環境変化によって見られなくなり、結果的にヤマメがほぼ絶滅してしまったのでしたね。それで当時入手可能だったアマゴを放流した経緯があったと聞いています。けれど日本海側に流れていく石徹白川にアマゴがいるのはやっぱり自然じゃないということで、ヤマメに戻そうと。その時に、前組合長さんから私たちにお声がけしていただいて、九頭竜川水系の、それもできれば昔、石徹白川にも来ていたはずのサクラマス由来のヤマメを希望されました。そのヤマメならば元々いたものにいちばん近いのではないかということで、今は福井県九頭竜川のサクラマス系のヤマメが石徹白川に放流されているわけですね。

斉藤 漁協の人たちがそういうふうに考えてくれたことが、すこくうれしかったですよね

 

安田 私もその話を最初に前組合長さんからお聞きした時は驚き、そして感動しました。もう10年以上前ですよね。

斉藤 2010年くらいだったかな。結局、管理の仕組みみたいなものを変えて今の釣り堀的な管理じゃなくて、ちゃんと魚を再生産できるようにして、釣りを楽しむ。渓流に関しては、漁業として成り立つわけがないわけだから、海の魚の感覚で、魚を資源と見るような、もうそういうレベルのものではないと思うんですよ、特に渓流魚たちは。で、渓流魚というのを資源と位置付けると、すこくなんか生態系が危うくなるという感覚ですね。

 

安田 漁業資源になりうるほどいないということですね

斉藤 いないから、やっぱりそれは大切な生き物であって、それらに打撃を与えない程度に釣りを楽しませてもらい、そのことに対価を払う遊漁者という人々がいて、その人々から管理費を取る。という流れが今の漁協のスタイルの現実だと思うんですよね。そうやって考えると、打撃を与えるのは釣り人ですから、釣り人がスタンスを変えれば魚って残るはずなんです。だから私たちがキャッチ&リリースを提唱しても「何をばかげたことを」と最初は思われたのですが、もう今ではすっかり定着して、「魚を逃がす遊び方」といものがあってしかるべきだと言っています。「取って食わんなら、釣りなんか、いじめるだけや」とかいうような意見もあるのだけれど、でも究極的にいえば、殺してしまうより逃がしてやるほうが優しいじゃないかと、遊び方が優しいだろうと。僕はそこだけだと思うんですよ。魚に対して優しくできれば、むやみに殺さなくてすむし、むやみに殺さなければ魚はちゃんと命をつないで再生産していくという。だからそういう意味では、釣り人が個人的にやれること、その上いちばん効果があることはキャッチ&リリ—スすることなんですよ

 

安田 一番大切なのは節度ではないかと思います。キャッチ&リリースっていうと大げさに聞こえるかもしれませんが、「魚を殺さないように最大限の努力をする」ということですよね。

斉藤 そうですね。ほどほどっていう考え方ができるかできないかみたいなことでしょうね。リリ—スすると、なにかすこく優しくなれるというか。そうすれば、リリ—スするためにフックのバーブはなくなっていく方向に自然となるんですよね。それで写真を撮るにしても「あまり弱らないように早く逃がしてやろう」みたいな気持ちにもなれるし。だから難しいことを言わずに当たり前にリリ—スできる人が増えれば「渓流での釣りの遊び方はリリースが基本」みたいになっていくでしょう。それだけだと思うんですけれど。

右上/堰堤下の禁漁区の看板左上/特別禁漁区(キャッチ&リリース区間)の看板。その意義、方法がていねいに記されている右下/どの看板もちゃんと目立つように作られている左下/きれいに保たれている看板からも、漁協の確固たる意思のようなものが伺える

右上/堰堤下の禁漁区の看板左上/特別禁漁区(キャッチ&リリース区間)の看板。その意義、方法がていねいに記されている右下/どの看板もちゃんと目立つように作られている左下/きれいに保たれている看板からも、漁協の確固たる意思のようなものが伺える

 

 

石徹白に魅せられて

斉藤 最近思うのは石徹白の若い人たちにフライフィッシングを教えるというか、やってもらうことに、もう今、残りの人生をかけているんです(笑)。フライフィッシングって難しいから面白いんですよ。面白いから別に殺さなくてもすごく楽しめるということなので、漁という要素がまったくないと思うんですよね。僕は少なくとも、生き物に対する優しさみたいなものをフライフィッシングに教えてもらったというのがあるから。

 

安田 石徹白小学校ではフライフィッシングの授業がありますしね。小学生でもちゃんとカーブキャストができるとか、大人が釣ったあとや、釣れなくて移動していったあとに入って大きなイワナを釣ったりとかね。

斉藤 だから、ああいうナチュラルな流れがないとフライフィッシングは教えられないんですよね

 

安田 難しいですからね。

斉藤 どういうふうにフライが流れた時に魚が出てくるとか、見にくるかとか。そういうのすらできない川も少なくないだろうけれど、石徹白の場合は一応、学校の前にそういう川が流れているわけだから。

 

安田 あの授業は年間に何度も行ないますね。

斉藤 解禁期間中に8月は除いて、月に2回ずつで6~7回くらいかな。それで9月には小さな産卵場を作るとかね、そういうのも一応やっていました

 

安田 私も参加していましたので、雨の日は教室で川の環境のことや、生物のことなどの話をしましたし、体育館でキャスティングの練習をしたこともありますね。それから皆さんでタイイングもやりましたね。

斉藤 そうですね。テキストもいくつか作って

 

石徹白小学校のフライフィッシング授業のようす。斉藤さんたちはテキストも作成し、釣りだけではなく川の環境についても学べるようにした

石徹白小学校のフライフィッシング授業のようす。斉藤さんたちはテキストも作成し、釣りだけではなく川の環境についても学べるようにした

 

 

安田 これは決して屁理屈ではなくて、やっばり魚釣りが好き、あるいは川に行くことが好きじゃないと川に関心を持たないですよね。釣りはたとえリリ—スしても、間違いなく魚にある程度ダメージを与えてしまいます。だけど、川に関心を持っている人がそこに存在するということに、大きな意味があると思うのです。川に関心を持つことで、川に何か変化が起きた時に、いち早くそれに対応することも、釣り人にはできると思います。私たちサクラマス・レストレーションでも各種調査や作業などさまざまな活動を行なっています。しかし一方で、河川環境に異変が起きていることを知らずにいたら、もっと気楽に釣りができたかもしれないと思うこともあります。でも、知ってしまうと無視できない性格なので、結果的にいろいろやることになってしまいました。

斉藤 そういう疑問とか危機感みたいなものへの気づきって、誰かがポッとほかの人に植え付けることもできると思っています。僕なんかはフライフィッシングを始めた時に芦澤一洋さんの本を読んでいて、それで芦澤さんの思想みたいなものが僕の中にすごく根付いていったなというのはあるんですよね。当時うちの息子の淳が14歳くらい。それが今37歳になって今、石徹白に住むようになり、石徹白漁協組合員にもなって。組合の中で若い衆たちとあれこれやったりしているんですよ。そういうのを見ていると、僕がこの場所でさまざまな活動を始めて、これまでどういう成果があったかっていうことよりも今、これからの次の世代に期待ができるようになったんですよね。

 

安田 20年以上も活動を続けるためにはそれなりの努力が必要で、時には犠牲を払わないといけない時もあったと思うのですが、現在の斉藤さんのお話をうかがっていると、努力はされているとは思いますが、それよりもむしろ石徹白の人々とよい人間関係ができて、とても楽しんでいるように見えますよね。

斉藤 そういうことは、今にいたってすこく感じますね。こんなに長く続けられると思わなかったし。なんかいろいろあったのかもしれないけれど、いまだに石徹白と深い縁が続いているということじゃないですか。息子がね、2人いるうちの1 人が石徹白に住みついちゃうなんて。カミさんは、「石徹白に取られちゃった」って言っているけれど(笑)。都会育ちの人がこういう活動に関わり出すと、変な方向に行くことも多いんです(笑)。本人はすこい正義感を持って理想を語るんだけど、それだけだと土地の人とぶつかっちゃうというか、もう相手にされなくなっちゃうんですよね。

 

安田 やはり地元の人々の暮らしも尊重して理解をしないといけないということですね

斉藤 僕はそれがいちばん大切なことだと思います。僕は釣り人だけれど、こういう活動は釣り人のためだけじゃない。そういう気持ちを忘れずに、ある程度釣り人の欲望というのは犠牲になってもよいと僕は思っているんです。だから石徹白でいえば、第一堰堤から上は全面禁漁にして、完全な保護区にするとか、そういう方向になっても今となってはもうそれでもよしだと思っています。

 

安田 つまり、釣りの対象魚だけを守るうということではなく、魚類も石徹白川の生態系のひとつなので、河川環境を保全することで、生態系が豊かになり、魚類も増えるということでしょうか

斉藤 そうですね。ただそれは本当に最終的な考え方かなと思います。だけどそういうふうに口に出しちゃうと、川にいちばん関わる釣り人たちに受け入れられないということもわかっています。ただ、石徹白でも養魚場が成り立たたず、廃業するような話も出てきていますし、難しいですよね。僕の理想は第一堰堤から上はオ—ルキャッチ&リリース区間で支流は全部禁漁に、という形でやってみたいという気持ちはすこくあるのですが、それを漁協に提案してなんらかの成果が得られるかどうかという自信もちょっとないものだから。

 

安田 これからはそういう増殖方法も視野に入れていかなければいけないと思いますが、斉藤さんはこれからの釣り人はどうあってほしいと思われますか?もちろん持ち帰りを100 %否定するというのはできないと思いますが。

斉藤 もう、僕の考え方では芦澤一洋さんが本で書いてみえるんだけれど、「これだけ地球上に同じ動物としていちばんはびこった人間という動物は、自分が食べる、自分たちが食べるものに関しては、みな自分たちで生産すべきだ。野生のものとかそういうものにはもう手を出すべきではないという時代が来ている」っていうことを言われているんです。それには矛盾もあるのですけれど、僕はその意見には賛成で、そういう発想のもとに釣りをやるべき、釣り人もあるべきではないのかなと思っています。

現在の石徹白漁業共同組合長、佐々木茂さん(写真中央)。漁協の運営は全国的に楽ではない状況だが、「もしも漁協がなくなってしまったら川は無法地帯となり、その結果河川の自然が壊れてしまう。故郷の豊かな自然はそのまま未来に申し送るのが使命」と語る

現在の石徹白漁業共同組合長、佐々木茂さん(写真中央)。漁協の運営は全国的に楽ではない状況だが、「もしも漁協がなくなってしまったら川は無法地帯となり、その結果河川の自然が壊れてしまう。故郷の豊かな自然はそのまま未来に申し送るのが使命」と語る

 

 

 

 

2023/12/27

最新号 2024年6月号 Early Summer

【特集】拝見! ベストorバッグの中身

今号はエキスパートたちのベスト/バッグの中身を見させていただきました。みなさんそれぞれに工夫や思い入れが詰まっており、参考になるアイテムや収納法がきっといくつか見つかるはずです。

「タイトループ」セクションはアメリカン・フライタイイングの今をスコット・サンチェスさんに語っていただいております。ジグフックをドライに使う、小型化するフォームフライなど、最先端の情報を教えていただきました。

前号からお伝えしておりますが、今年度、小誌は創刊35周年を迎えております。読者の皆様とスポンサー企業様のおかげでここまで続けることができました。ありがとうございます!


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