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然別湖のこれまでとこれから

釣りを観光資源に

安田龍司=聞き手 編集部=文と写真
flyfisher photo

はじめに

久しぶりに訪れた然別湖は、以前の記憶と変わらず原生林に囲まれ、青く美しい水に満ちていた。距離があるのでその表情を窺がうことはできないが、きらきらと輝く水面にボートを浮かべている釣り人は、幸せな時間を過こしているのだろうと、容易に想像できる。今回はこのような素晴らしい釣り場を創出し、維持管理している田畑さんにお話を伺った。フライフィッシングを始めてから然別湖に出会う以前のお話も、鹿追町との関わりから現在までのお話も大変興味深かったが、何よりその人柄と情熱に感心せざるを得なかった。田畑さんだからこそ、よき仲間が集まり、大変な苦労も乗り越えられたのではないかと痛感する。

そして楽しい釣り場というだけではなく、豊かな生態系を維持するための各種調査を継続してこられたこともすばらしい。然別湖のような成功例が釣り場作りや生態系保全の参考になることを切に願うばかりだ。(安田龍司)

 

静岡から北海道へ

安田 まずは田畑さんが現職につくまでの経緯をお聞かせいただけますか?

田畑 私はもともとアメリカンカルチャ—が大好きだったんです。30歳代の時に映画の『リバー・ランズ・スルー・イット』を観まして、そこでモンタナの風景を観て心惹かれちゃいまして。静岡出身で、それまでのフライフィッシングは普通に渓流魚を釣っていたのですが、34歳で初めてニュ—ジ—ランドに1人で行ったのですね。まだインターネットもない頃でした。「マスの天国」つて『地球の歩き方』に書いてあるのですよ。たぶんウソだと思って(笑)。でも行ってみたら本当に「マスの天国」だったのですよね。自分1人だけでボートで渡してもらって。そうしたら1投目にすごい大きいニジマスが掛かっちゃって(笑)。それが衝撃的で海外の釣りにハマってしまい、憧れだったイエローストーン国立公園周辺にも行っていました。すると今度は北海道の夢が出てきたのです、35歳かな。そのためにバイクの免許を取って。北海道を釣りしながら1周してから帰って、仕事に復帰する予定だったのですが、その時オートバイで大事故を起こしてしまったのです。一命を取り留めたのですが、リハビリに半年~1年かかりました。

 

安田 それは大変でしたね……。

田畑 釣りの帰りだったのですが、車と衝突してしまい30mくらい飛ばされまして。全身打撲で膝はボロボロになりました。その後、札幌を中心にリハビリを続けましたが、ちゃんと歩行して仕事ができるようになるには2年くらいかりました。それから「もっと人生を楽しもう」と思うようになりまして、ずっと北海道で釣りをしていたんです。その時にいろいろな人との出会いがありましたが、鹿追町のグリーンツ—リズムの事務局長を紹介していただいたのが今思えば転機でした。NPO法人「北海道ツ—リズム協会」というところです。北海道のグリーンツーリズムのいちばん最初の団体だと思います。鹿追町では農業はとても盛んなのですが、観光地としてあまり有名ではなかったのです。そこで「農家の人が率先して体験牧場やファ—ムレストランなどをやっていこう」という先駆者の方がいたのです。その方に「おもしろい奴だな、ちょっとウチで働いてみないか?」と誘われて、そこで働くようになりました。これが鹿追町との出会いでした。その北海道ツーリズム協会事務局長の武田耕次さんという方が、人間的にものすこく大きな人だったんです。自分は外からここに来た人間なので、十勝の魅力をものすこく感じていたのですね。それで武田さんと一緒に農村の観光プログラムとか地元の方たちと連携した農村ツアーなどを組んでいました。

 

 

然別湖での取り組み

安田 まずは釣りではなく、農村のツア—からスタートしたのですね。

田畑 はい。そして当時、鹿追町役場が然別湖の特別解禁を年に10日間だけやっていたのです。然別湖のミヤベイワナはここにしか生息していない魚で、北海道の天然記念物にもなっているのです。一度絶滅危惧種に指定されて、何年も禁漁だったのですが、どれくらい復活したのか確認するということで、年10日間調査をしていました。でも役場の職員が中心となり、早朝から夕方まで遊漁調査を運営をするというのはなかなか大変なので、北海道ツ—リズム協会のほうに「何か方法はないか?」と訪ねて来られたのです。それで私が、世界ではキャッチ&リリースというのが主流になってきて、それを実践することで魚が減らない。それにより釣りが観光ビジネスとなり、人が来るようになって、イエローストーンやニュージ—ランドみたいにもっと上質な遊びを提供できるのではないか?と自分が経験したことをお話しました。そうしたら役場の部長さんから「それでは企画書を作って下さい」と依頼されました。2004年の11月でした。それで私の今までの経験と、もしここで自分が釣り場運営をするならば、という夢のプログラムを考えたのです。

 

安田 なるほど、それはすばらしいですね。

田畑 何年かかけて世界にも誇れる釣り場を作りたい、みたいな壮大なものを考えちゃったのですね、妄想ですけど。そんな企画が通るとは思っていませんでしたから。そうしたら通っちゃったのです(笑)。

 

安田 なおさらすばらしいです(笑)。

田畑 でもそれが翌年の2005年からということになりまして……。

 

安田 え?時間がまったくないじゃないですか。

田畑 そうなんです。もうそれからはドタバタでした。もう、人生で初めて火事場の馬鹿力のようなものがでまして。「やれるかやれないか」ではなく「やるしかない」と。そうすると人って思いもよらない力が出るのと、自分が大好きだった釣りの仕事だということで。若かったですし、それはもう心が火の玉になりましたね。でもやっぱり、そんな時に助けてくれたのが、地元の釣り人たちなんです。もしくは内水面の釣りをやっていなくてもモ—夕—ボ—トの免許を持っている方など、みんなが力を貸してくれたのですよね。本当になんというか、偶然と偶然が全部重なって……。それが2005年のここのスタートでした。

 

安田 最初からその企画書のとおりにスタートできたのでしょうか。

田畑 実は私もこの然別湖で釣りをしたことはなかったのですよ。禁漁だったというのもありましたが、ここは1年間でたった10日間しか釣りができなくて、釣りをするための抽選があったのですね。その倍率が50倍といわれていて。そもそも釣りをやったことのある人が少なかったのです。それで、運営するにあたり、6月10日に決めて、8月中旬まで週休2日でやりました。その間、この湖がどういうふうに変化するかというのをしっかり確認したかったのです。最初のスタート時点はもうボンボン釣れるし、嘘のように魚がいたのですよ。自分も解禁の2日前に、スタッフと試し釣りをしたのですが、もう1時間でやめちゃったくらいでした。でも、シ—ズンが進むにつれてわかったことは、7月中旬を過ぎたら釣れないということでした。

 

安田 それは水温上昇によって魚が深いところへ潜ってしまうからですか?

田畑 そうなんです。ミヤベイワナのレンジが15mくらいになるのですね。ニジマスも最盛期のピークを過ぎて水温が20℃以上になったら、もう表層には出てこないですね。そうなるとお盆休みにお客さんは満員だったのですが、誰も釣れない。私が謝ることでもないのですが、もう毎日謝り続けていました(笑)。水温も計り続け、お客さんからの調査デー夕ももらっていたので、翌年の2006年から6月7日から7月26日まで連続で50日間オープンするようにしました。釣れなくなる時期はクローズ、ということです。そこで、期間が短くなるかわりに秋にも釣りができないか、と役場に申請したのです。それで秋に釣りをしてみたら、ニジマスのコンディションがとてもよいのですよ。ミヤベイワナを釣るのはちょっと難しいのですが、自然再生産されたニジマスの魚影がこんなに多いのだったらと、秋のセカンドステージを始めたのが2007年からですね。春のファーストステージと合わせて年間50日の解禁期間となり、現在まで変わっていません。解禁時期は水温に合わせて調整しています。今年(2023年)は5月25日からでした。

 

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然別湖のみに生息する、オショロコマの亜種、ミヤベイワナ。プランクトンなどを主食とするべく、鯉杷などが進化している。ヤンベツ川で産卵し、然別湖で回遊するという生活史を持つ(photo:Takaaki Tabata)

 

安田 解禁が早まっているのは、温暖化の影響もあるのでしょうか。

田畑 そうですね。今年は19年目で定点で水温も計り続けています。釣果もすべてデー夕として残していますので。でも実感としてもわかりますよね。今年の5月25日というのは、今まででいちばん早い解禁になりました。

 

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右/釣り人はボート乗船前に10分間のガイダンスを受ける。湖の状況、ルール、注意事項などが改めて確認される。左/ガイダンスに使用されるボードの裏面。心地よく釣りを楽しんでもらうために、シーズンごとに改善を重ねられている。

 

 

「NPO法人北海道トラウトフィッシング協会」の設立

安田 情報やデータが何もないところから始められて、釣り人や皆さんの情報を収集し、ようやく現在の形にまでされたというのは、大変なご苦労があったと思います。

田畑 ありがとうこざいます。しばらくは北海道ツーリズム協会の部門として運営をしていましたが、ツーリズム協会もレストラン、コテ—ジ、観光牧場など先駆者の方々がやり遂げて、もう組織として成熟していました。「それなら純粋にトラウトだけのNPO法人を興して、トラウトだけの活動をしたい」という思いがありまして、ツーリズム協会の理事の方々にお話しをしたら、みんなが賛成してくれました。そして、2019年4月10日に「NPO 法人北海道トラウトフィッシング協会」を設立しました。でもすぐにコロナ禍になってしまい、まだ何もできないまま4 年くらい経っているのですけど(笑)。でも専門学校生のインターンシップ制度も設けて、マス釣りを知ってもらうと同時に、この事業を知ってもらってトラウトフィッシングの普及活動を地道にやり始めたばかりです。今はこのNP0のメンバ—と週末だけ手伝ってくれるボランティアスタッフでやっています。ここの仕事だけでは生きていけないので、みんなフリーランスでこの時期だけシフトを組んでいます。お客様に1日楽しく釣りをしてもらいたいので、そのサポ—卜をしつつ、安全面を管理するという黒子のお仕事ですが、スタッフは全員ルア—やフライの釣り人なので、それぞれ得意な分野でお客さんのアテンドやアドバイスをしています。

 

安田 今現在、メンバ—は何名くらいいらっしゃるのでしょう。

田畑 メインのメンバ—はNPOの理事、社員を含め11人です。

 

安田 けっこういらっしゃるのですね。

田畑 NP0自体が最低10人いなくてはいけないですからね。スタッフはみんな、もともとこの然別湖のお客さんなのですよ。皆さん、この釣り場が好きで、顔なじみですばらしい方ばかりたったので、お声を掛けさせていただいたりしました。最初は週末だけのサポートメンバーとして入ってもらったのですよ。そこからこの仕事に対して「もっとやってみたい」というような話になっていって「じゃあ、NPO 法人を作ってみんなでやりましょうか?」ということになりました。でもこれも毎日1年間だったら、心も身体も疲弊しちゃうと思うのですが、まずはファーストステ—ジの35日間を突っ走るだけなので、スタッフみんながモチベーション高いまま終われるのですよ(笑)。解禁中は毎朝午前3時に起きて、お客さんが帰られても一般の仕事の残務があるじゃないですか。何よりみんなほかの仕事を持っていますしね。でもここにいると気分が高揚するみたいで、みんな気を張ってやってくれています。

 

安田 皆さん通いで来られているのですか。

田畑 帯広市、札幌市、置戸町だったりさまざまですが、平山旅館さんというビジネス旅館が鹿追町にありまして、そこに協力していただいて、1人1部屋の素泊まりでスタッフの拠点としています。たとえば千歳のスタッフは1週間こちらで働いてもらって、1回千歳に帰って自分の仕事をして、また1週間こちらに来てもらうとかですね。みんな自分の本来の仕事がありますので、まずはそれを優先してもらい、空いているところでシフトをやりくりする、という方法です。自分と奥さんだけはほとんど無休でやっています

 

安田 NPO 法人そのものを維持していくことも色々大変ではないかと思いますが。

田畑 そうですね。ただ私たちの事業は、第二種区画漁業権を持っている鹿追町から受託して事業を行なっているのです。簡単にいうと、役場からの「何かよいアイデアはないでしょうか?」という問いに対して、「こういうプランはいかがですか?」と我々が提案し、「ではこの予算でやってください」という流れで初年度からやっていました。ですから基本的に運営する予算を鹿追町からもらっているのです。ただその予算もたくさんもらっているわけではないので、そこのとこるはみんなで協力しながらやっています。遊漁料収入は全部、町のものになります。一部のボートやエンジン船などは、私たちが購入して町に貸し出して、借り上げ料で運営に充てるという形をとっています。あとはガイドサービスやボートの曳航、ポイントヘの渡船など、すこしでも補えるようにして運営をしています。

 

安田 そうだったのですね。いざ始めてみたらこんなトラブルがありました。というようなことはありましたか?もし、今後このような活動をやりたいと思う方の参考になればと思いまして。

田畑 そうですね……。いくらレギュレ—ションを作っても、皆さんが理解をするまで時間がかかるということですかね。エサ釣りは禁止で、フックはバーブレスというレギュレーションですが、「なんでミミズはダメなんだ?」つて。でもレギュレーションなんて、保険の約款と同じで(笑)、みなさん、本当に悪気はないのですよ。また釣りの前に「ミヤベイワナはキャッチ&リリ—スですのでこ協力ください。帰りにクーラーボックスの確認をさせていただきます」とお伝えするのですが、開けても開けても……。リリ—スする人は、そもそもクーラーボックスなんて持って来ないですから(笑)。

 

安田 それを大きなトラブルにならないように、理解を得ながら少しずつ解決していくことは、いちばん難しいことかもしれませんね。

田畑 そうですね。釣りが好きなのはみなさん同じです。ただちょっと角度が違っているだけですので。それを「違うだろ」と否定的に怒ったりするのは、よい結果にはなりません。

 

 

役場との関係

安田 お話を伺っていると鹿追町の役場の方々との関係が非常に良好だと感じるのですが、その秘訣のようなものはあるのでしょうか。

田畑 そうですね。そのひとつとしていえるのは、最初に北海道ツーリズム協会で、この「グレートフィッシング」を立ち上げる時点から協力的だったというスタートラインがあるのですね。逆にいえば我々から「やらせてください」というアプローチではなかったのです。ただ、「ここまで続くとは思っていなかった」と言われました。「試験的にやらせてみようか」というスタンスだったみたいです。最初からあちらのほうから「お願いします」というようなアプローチだったので、とても協力的でやりやすかったですね。ボ—卜や桟橋、エンジン船に関しても役場の所有ですし、我々のほうでもモ—夕—ボ—卜を1艇用意しましたが、基本的に当時は役場の備品を使って運営管理をするというスタンスでした。ですから準備の時も、役場の方々がボ—卜を下からここまで上げてくれたり、撤収の時も下ろしてくれたりを、我々と一緒にやってくれるのです。その頃私は30歳代でしたが、役場のその担当者も同じような世代だったのも大きかったかもしれません。

 

安田 それは話が合うようになりますね。

田畑 そうなんですよ。そのうち「釣りってそんなに面白いの?そんなにフライフィッシングって面白いの?」という話になって、フライフィッシングにハマっちゃった人も数名います。そうすると見方が変わってくれるのですよね。そして我々から「お客さん何人来ました、収益はこのくらい上がりました、調査用紙をもとに釣れた魚の数はこれくらいでした」などの数値をまとめた事業結果報告を役場に提出します、このようにきちんとデ—夕を書面で提示すると、理解していただけます。だから本当に大きな障害は感じたことはないですね。だからやって来られたのだと思います。

 

安田 それはすばらしいですね……。

田畑 ここも以前は閑散としていた場所で、最初私たちも登山道の入口にあった、ほったての現場小屋でやっていたのですが、ここの湖畔公園園地も整備するという話も進んで、きれいに改修してもらってありがたい限りですよね。私はもともと行政感覚がなく(笑)、漁業法とかも詳しくないもので、詳しい方にサポー卜をしてもらいました。確かにそういうことも重要ではありますが、自分の心の中では、「最高にすばらしい釣り場にする」しか頭にないのですよ。何回来ても気持ちいい釣り場を考えることに一生懸命で、難しいこと、たとえばレギュレ—ション作りなどは、専門の方のアドバイスを受け、何度も擦り合わせをしましたね。「こういうのはダメ。言い回しもこちらのほうがよい」とか。

 

 

釣りをやらない人でもわかるように、データを用意する

安田 なるほど。鹿追町はなぜ、この事業を継続させてくれているのでしょうか?鹿追町役場から見たメリットはどのようなことなのでしょう。

田畑 それはここのメンバ—の芳山拓さんの力が非常に大きいと思います。彼が『釣りがつなぐ希少魚の保全と地域振興然別湖の固有種ミヤベイワナに学ぶ』(海文堂出版)という本にまとめているのですが、釣りと経済、地域に関する、さまざまなことを数値化してくれたのです。お客さんが来ているとしても1日50人限定で、50日間の解禁ですので、マックスでも年間2500 人となります。昨年はコロナの影響で釣りが人気だったこともあって、年間1600人来られて今までの最高となりました。そうはいってもそれだけしか来ていないのですよ。でも役場としては出している運営費に関して、ほぼイコ—ルになるくらいの収益なんです。そんな状況で芳山さんが、地域と釣り場の管理運営と自然保護を両立するすばらしさをリサーチをもとに科学的に訴えてくれたのです。それが経済効果としてどれくらいのお金を生み出すか、ここでお客さんにイヤな顔をされながらも、一生懸命インタビュ—をして聞きまくって、データに落とし込んだのです。そして「なんだ、ここに釣りに来る人は、こんなにお金を使っているのか!」というのを初めて数値化してまとめてくれたのです。

 

安田 デ—夕をうまく活用し、提示できる人材がいらっしゃったのは、とても貴重ですね。

田畑 釣り好きの人が一生懸命「釣りは楽しいんだ!」と力説しても、役場には伝わらないのですよね、釣りをしないから。役場の人にとっては、数値だったり、外部からの評価だったり、釣りをやらない人にもその価値がわかるようなものでないと理解を得るのは難しいですよね。

 

安田 本当にそのとおりですよね。私たちが九頭竜川を中心に活動している、サクラマスレストレーションでも講演をさせてもらう時や、行政の方たちとお話をする際、経済効果ってやはり欠かせないのです。以前、遊漁証を購入した人を対象に調査をしたことがあって、「日釣り券か、年券か?」「年券の人はシーズンに何日ここに釣りに来たか?」「日帰りか、宿泊するのか?」「1回来たら、食事・ガソリン・宿泊費・買い物などにいくら使うのか?」などを40人近くの釣り人に聞き取りをしたのです。聞き取りをした人は、たまたま皆さん年券でしたね。1 シーズン、2 月の解禁から5 月末までです。その釣り人たちのデ—夕と漁協で販売した遊漁証のデータを用いて地域への経済効果を試算したところ、1.5 億円くらいの効果があることがわかりました。そのデータを算出方法とともに示すと、皆さんの反応も変わってきます。

田畑 やはりそういうことって大事ですよね。客観的に見てどうか、ということが役場の人たちには、重要な部分ですからね。またそのような客観的なデ—夕があれば担当者が変わってしまっても、資料として引き継げます。役場の担当者、たとえば係長さんとかでも、長くて5 年ほどで異動になってしまいますから。でも鹿追町役場では、うれしいことに当時は地元の採用者も多かったので。ですから30歳代の頃出会った同世代の職員さんとかは、私とともに歳を取ると、皆さん偉くなっていくのですよ。お互いに長い時間で積み重ねたものがありますので、あちらも無理なことはいわないですし、私も困らせるようなことはいわないし。釣り場の安全管理の面でも、事故などのないように徹底してやってきましたから、あちらに迷惑をかけたようなことはないかなと思っています。ですから自分の年齢も含めて、すべて偶然に偶然が重なったというのを正直感じますね。本当に「フライフィッシングが大好きで、道を外れてよかった」と思います。鹿追町役場の方々にもすこく感謝しています。

 

 

次の世代に引き継いでいくこと

安田 これは日頃から自分が考えていることで、ちょっと失礼な質問になるかもしれませんが、田畑さんの後継者って考るておられますか?

田畑 それに関しては何ていうのかなぁ、ここの湖に対しての思いはとても強いのですが、当然、この先どうなるかはわからないのですけれど、たぶんそういう人が現われるのだと思います。やたら楽観的なのですけど。今、そういう思いがある人たちで運営しちゃっているのも事実なのですよね。でも、この人たちとの出会いが、今のメインスタッフになるなんて思いもしなかったから。

 

安田 ああ、なるほど……。

田畑 今ここのスタッフが、本当によい人材に恵まれているじゃないですか。その中からやりたい人が出てくるかもしれませんし。インタ—ンシップで釣りにハマっちゃって、大人になってこの仕事を手伝いに来てくれる人もいるんです。そうして正規のスタッフになっちゃう若者もいますよ。だから「うわぁ、点が繋がっちゃった!」と思いますね。だから先のことを考えるよりも、みんなスタッフが来てくれて、「今日ここの仕事に触れられてよかった」、インタ—ンシップの人たちも「今日来てよかった」というような、今日の目の前の当たり前のことを、ただていねいにやることで、何か繋がっちゃうのかもしれないなと、最近ぼんやりと思っています。だから後継者などは、私よりもすばらしい若い人が、たぶん出てくるのではないかと思います。というのが正直なところです。

 

安田 なるほど……。そのインターンシップの方は、どこから来られるのですか?

田畑 札幌です。札幌科学技術専門学校というところです。その出会いのきっかけもここでした。13年ほど前にお客さんとして来た人が、釣っちゃいけないところで、2 人で釣りをしていたのです。パトロールしていて「釣れますか?」と声かけたら「すごい釣れる!」って言うんですよね(笑)。

 

安田 (笑)。

田畑 それをきっかけに仲よくなって、ある時、「ポスタ—をウチの学校にも送ってよ」と言われて、よく話を聞いたら、専門学校の非常勤講師の人だったのですね。「じゃあポスター送るから、ちょっとインタ—ンシップの相談にのってくれない?」と言ったら、もう即答で決まっちゃいました(笑)

 

安田 へえー!出会いまくりですね(笑)。田畑さんもそういうことをやりたいと思われていたのですか?

田畑 ずっと思っていました。1 人でも多くの学生さんに、然別湖に来てもらい、この事業内容や魅力を直接伝えることができます。インタ—ンシップの件も、すぐに学部長の先生に0Kをいただいて3 年目になりました。

 

 

天然記念物としての然別湖とミヤベイワナ

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安田 そもそも論になってしまいますが、然別湖の天然記念物にについてお伺いします。天然記念物にはミヤベイワナが指定されているのですか、それとも然別湖の一定のエリアが指定されているのですか。

田畑 「天然記念物」という言葉が先行しちゃっているところがありますが、この湖には1の湾・2 の湾・3 の湾……、というように6 つ湾があります。その中の6 の湾というところが天然記念物指定エリアなのです。産卵河川のインレットがあるところですね

 

安田 ミヤベイワナそのものではなくて、場所が天然記念物なのですね。

田畑 そうですね、ですからそこに生息している生き物も天然記念物ということになります。ですから変な話ですが、そのエリアから出て行ったミヤベイワナは天然記念物ではなくなるのですね。

 

安田 しかし再生産などを考えると6の湾以外のミヤベイワナも捕らないほうがいい、ということですね。

田畑 そうですね。絶滅危惧種に指定され、レッドデータブックに掲載されたら消えないのですよ。2005 年にキャッチ&リリ—スを導入して一時期、数がピークを迎えたことがあったのです。芳山さんの計算では10万尾という数字が出て、確かにその時は、ものすfJv 魚が増えたなという実感がありました。でも自然にはやはり波がありますから、不思議なことにだんだんと、安定してくるのです。信じられないほど釣れた時は、初日に1 人で160 尾ほど釣れたのですよ。50人のうち、20人以上が50尾以上でした。ここではその日の釣果を用紙に記入してもらうのですが、用紙のマスは14尾までなのですね。釣れない人でも14尾が埋まらない人はいませんでした。でも、そうなってしまうと、お客さんたちが数釣りで競うようになってしまうのです。その頃は釣り方や魚の扱い方が少し雑になっているように感じました。その後台風が来たりして、当時のようには数は釣れなくなったのですが、今の若い人たちは1 、2 尾釣れただけでも、とても喜んでくれて、リリ—スする前にちよっと水槽に入れて「美しい!美しい!」って眺めて楽しんでいますよ。

 

安田 なるほど。ミヤベイワナに関心を持ってもらえること、そして1尾でもその価値を理解してくれることはとでもよいですね。デ—夕も取っておられるとのことですが、田畑さんの実感として現在のミヤベイワナの生息数はいかがでしょうか。

田畑 増えもせず減りもせず、横ばいですね。

 

安田 そういったミヤベイワナのデータも鹿追町にしっかりと提出しているわけですね。

田畑 はい。私たちが町から求められているのは、あくまでも資源調査なのです。要求はされていませんが、芳山さんを中心にほかのさまざまなデータも取っていますから、合わせて提出しています。

 

安田 プラスアルファの調査デ—夕もあることはとてもよいことですね。

田畑 役場の人たちもそのあたりは理解をしてくれていて、毎年我々が作るポスタ—や、開催スケジュ—ルを伝えるためのポストカーなど、釣りをするお客さんに来てもらって、調査に協力してもらわないと、調査が成り立たないのでそのための集客活動のひとつとして理解してもらっています。

 

安田 実際の運営はこ苦労もあって大変だと思いますが、プロジェクトは順調に進んでいるようですね。

田畑 ありがたいことです。ただ、北海道だったらこれに似たような、いろいろなビジネスモデルって、できる可能性はあると思います。アメリカとか行くと川や湖って、もうずっといた<なっちゃいますよね。北海道の湖や河川もポテンシャルは非常に高いですから、もっと世界に向けて情報発信してもいいと思います。水辺に強い想いを持っている人って、釣り人やカヌーの人たちですから。トラウトフィッシングの楽しさを、1人でも多くダイレクトに伝えることと同時に、そういう人たちの活動がこれから新しい北海道のビジネスに繋がったらいいなと思っています。

 

 

 

 

2024/3/27

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