ハクウンボクと東北の赤いヤマメ……北上川水系の里川で
瀬戸際ショート・ストーリー Vol. 1
佐藤成史=文と写真
ハクウンボクの花、落ちる頃

ハクウンボクの開花は、梅雨入りとほぼ同じタイミングで始まる。北東北の里山には新緑の波が押し寄せ、たくさんの生きものたちが元気いっぱいに動き出す。釣り人の視点からハクウンボクの開花が意味するものを考えれば、オオマダラカゲロウやコエグリトビケラの仲間といった水生昆虫のスーパーハッチを知らせるサインである。水辺に見られる花から水生昆虫の羽化期を予測することは、フェノロジー(生物季節学)の実践そのものであり、フライフィッシングならではの醍醐味だ。近年の気候変動は自然の営みに微妙な変化や齟齬を生じさせるが、それもまた自然界が絶え間なく動いていることの証にほかならない。現場へ足を運んでさまざまな変化を見て取ることは、自分にとって欠かせないフィールドワークであり生き甲斐でもある。
赤いヤマメ


赤いヤマメといっても、多くの人はピンと来ないかもしれない。なぜなら「サーモン・ピンク」という言葉があるくらいで、サケ属の魚はもともと赤やピンク系の色調を持っている。陸封ヤマメはサクラマス(Cherry Salmon)のネオテニー(幼体成熟型)であり、サクラマスのように銀毛化しないかわりに、成魚になっても幼魚時代の模様や色彩を明瞭に残す個体が多い。そして夏から秋にかけて産卵期が近づけば、成熟した雌雄の体は深い色合いの赤やピンクの婚姻色で彩られる。
このような性質があるため、産卵期に限らず赤味の強い体色を持つ個体が出現しても不思議ではない。けれども出現率や発色の状態という点では、地域的な偏りや集団による特徴が見られる。そのよい例は九州の「緋色ヤマメ」と呼ばれるローカル変異個体である。緋色とは濃く明るい赤色系の色調を指す。一般的なヤマメの体側を彩る薄い赤色系やピンク系の色調は、側線を中心に沿って帯状、あるいは染みのように現れる。帯の幅はパーマークの上下幅以内に収まっているのが普通で、腹部の黒点まで回り込むことは滅多にない。緋色ヤマメは強い赤味を帯びた発色が見られ、しかもそれが飛散して体表の大部分を覆う。個体によってはヒレまで赤く染まり、季節に関係なくその色調は維持される。


Tさんが指摘したのは、ある支流筋の数本の沢で赤いヤマメの出現頻度が特異的に高いという点だった。それでもこちらは半信半疑で出かけたのだが、最初に訪れたA沢の最初の魚がまさに九州で見た緋色ヤマメに似たタイプだったのである。体側の赤い帯が体側全体に滲み、胸ビレや腹ビレまで赤味を帯びる。6月でこの色合いなのだから、9月になればどれほど濃度が増すのだろう。こんなタイプの東北ヤマメはそれまで見たことがなかった。地域固有の遺伝的な特性や希少性を感じるのに充分な印象だった。
A沢では赤いヤマメの出現頻度が70%くらいとのことだった。その日私が釣ったヤマメは5尾で、濃淡の違いはあれど、そのうち3尾が赤いヤマメだった。アワセをしくじった魚はその3倍あったから、全部釣っていたら出現率の精度向上に貢献できたことだろう。
ちなみに、近年アマゴの棲息域に広がっている「花魁アマゴ」と呼ばれるド派手な色彩の養殖種苗が問題視されている。あれは朱点の強いタイプを選抜交配することで、朱点が幾重にも重なり合うような不自然な模様に変化した。今回紹介した赤いヤマメや緋色ヤマメは在来種である確率が高く、野生集団の中から自然発生したタイプであることを伝えておきたい。なお、緋色ヤマメについては九州宮崎県のNPO法人「米良鹿釣倶楽部(https://merajika-fishing-club.themedia.jp/)」がHPで個体の画像とともに紹介しているので参考にしていただきたい。
訃報
再訪を約束して、私はさらに北へと向かった。実はそのとき、赤いヤマメの棲息するというほかの2本の沢についても情報をいただいた。9月にまたご一緒しましょうと別れた。
ところが私の仕事の関係で、昨年の8月以降はほとんど釣りに行くことができず、約束を守れなかった。8月~9月に東北遠征できなかったのは、成人になって初めてかもしれない。なのでときどき赤いヤマメの写真を見返しては、赤いヤマメを探しに行くこと想像して胸をときめかせていた。
そうして迎えた昨年の暮れ、Tさんが8月に急逝していたとの訃報が届いた。朝食後に横になり、奥様が気づいたときには息を引き取っていたという。すぐに受け入れられることではない。しばし天を仰いで思いを巡らせ、人の命の儚さを思い知った。
河原に立って嬉しそうな笑みを浮かべるTさんの姿が目に浮かぶ。足元にはハクウンボクの白い花……。それが献花になるとは夢にも思わなかった。ご冥福を心よりお祈りしたい。
佐藤成史(さとう・せいじ)
1957年生まれ。北里大学水産学部在学中はイワナの研究に没頭。海外の釣りに傾倒した時期もあったが、結局日本の渓魚たちの魅力を断ち切れず、還暦を過ぎた現在でもせっせと渓流に通う。渓流魚分布の秘密に迫るための釣行は「瀬戸際活動」と呼んでいる。フライフィッシング関連の著書多数、であることは言わずもがな。最新刊は全国のイワナの写真を、分布の考察とともにまとめた『岩魚曼荼羅』。好評発売中。群馬県前橋市在住。
1957年生まれ。北里大学水産学部在学中はイワナの研究に没頭。海外の釣りに傾倒した時期もあったが、結局日本の渓魚たちの魅力を断ち切れず、還暦を過ぎた現在でもせっせと渓流に通う。渓流魚分布の秘密に迫るための釣行は「瀬戸際活動」と呼んでいる。フライフィッシング関連の著書多数、であることは言わずもがな。最新刊は全国のイワナの写真を、分布の考察とともにまとめた『岩魚曼荼羅』。好評発売中。群馬県前橋市在住。

2025/5/16